— デビューのきっかけは中学受験と反抗期だった

自分の気持ちを他者に伝えることはもちろん、自分自身で理解することも実は難しい。誰もがさまざまな思いを持っているけれど、それを言葉にできず、なんだかモヤモヤとしてしまう。「だから音楽があるんです」と加藤ミリヤさんは言います。わたしの思い、あなたの思いを歌にして代弁することこそ、使命だと。
豊田市出身でシンガーソングライターとして活躍する加藤ミリヤさん。そのキャリアのスタートは、10歳のときでした。「中学受験のストレスと反抗期がダブルでのしかかってきて、鬱積した感情を発散するために詩を書き始めたのです」。それが自身への癒しとなり、また誰かとその言葉を共有したい、共感してもらいたい、という思いで、それから3年間、書き溜めた詩をレコード会社のオーディションへ持ち込みます。結果、見事合格となり、わずか16歳でメジャーデビューを飾るのでした。

— 次のステージへ進んで行こうと前向きな気持ちになれた

念願だったデビュー後も、心は満たされませんでした。「なんかうまくいかない」と、自分に納得ができなかったのです。しかし、デビュー10周年を迎えた26歳のとき、自身の過去を振り返り、10周年アルバム「MUSE」を発表。「また次のステージへ進んで行こうと前向きになれた」ことで、転機が訪れます。2014FIFAワールドカップ公式コンピレーション・アルバムに中島美嘉さんとコラボした楽曲「Fighter(Tachytelic World Cup Brazil 2014Remix)」がアジア代表ソングとして選ばれたり、また、「生まれたままの私(幻冬舎)」など、小説の執筆やファッションブランドのデザイナーなど多岐にわたって才能を開花させた20代となりました。

— 母親となり、変わったこと変えなかったこととは?

36歳となった加藤ミリヤさんの音楽に対する気持ちは、詩を書き始めたころと変わっていないのでしょうか。
「やはり2児の母親となったことで、ライフステージがガラッと変わりました。」楽曲に先入観を持たず、没頭してもらいたい、という思いから、あまりプライベートを出さないようにしているそうなのですが、そうは言っても子育てのプライオリティが高くなり、音楽と向き合う時間が短くなってしまうのは必然。ただし、限られた時間に集中することで、これまで以上にパワフルに音楽と向き合えているそうです。
「10代のころ、すごく傷ついたり、苦しかったことが30代になって全然平気になったりもしました」。そうなれたのは経験によるものだと自身で分析します。

— ライブ、ファッション好きを続けるための努力。

現在も変わらぬ容姿に驚かされますが、その秘訣を訊いてみました。「食事には気を付けています。オートファジーが基本で、食事するのは朝7時から午後3時までと決めています。あとはトレーニングですね。10代のころは、トレーニングが嫌いだったのですが、いまはめちゃめちゃやります」。結果、当時よりもスレンダーとなり、ライブでも動きやすくなった、と言います。

— そして、20年後の今、原点回帰へ。

2023年にはアルバム「BLONDE16」を発表。このタイトルは、ブロンドヘアーの16歳を表現するもの。「原点回帰がテーマだったのです。自分が音楽を始めたときワクワクしたときの気持ちをもう一度感じたくって。実際、言いたいこと、思いがどんどん溢れ出てきました」。 そして、久しぶりの地元・愛知での凱旋ステージ。どんなライブを魅せてくれるのでしょうか?「冬の歌を織り交ぜながら、大人のクリスマスライブにしたいと思います」その歌も、きっと大人のあなたの心の声を代弁しているはず…。