現在、日本のミュージックシーンをフロントロウでけん引するビッケブランカさん。幼少期、妹のピアノに触れたことを契機に音楽に出会い、小学校高学年では作曲を開始。持ち前の集中力と天性の才能、そして幼少時代から蓄積したメロディラインのストックを駆使して、いまや楽曲制作能力は爆発的に開花しています。
「いまの僕の音楽の引き出しは、ほとんど愛知でストックしてきたものということになりますね。高校は名古屋市内だったので、その3年間は遠い距離を通学しながら、ずっと音楽を聴いていました。学校にもいろんな機材を持ちこんでは、ラップとかできそうなやつを見つけて、学校の隅っこで曲つくって…家帰って、それをまたつくり直して…そんな日々でした(笑)。その時代が、僕にとっての音楽的な過渡期と言えますね。本当にいろんなことにトライして、音楽づくりに暴れまくっていました(笑)」
父親が家でアコースティックギターを弾き、歌が大好きな母親に毎日のように洋楽を聴かせてもらっていたことが、現在の彼のクリエーションへの大いなる糧となっているようです。
「小学校1年ぐらいですが、家にいいコンポがあって、学校から帰ってきてすぐスピーカーの前にいって、ナックの『マイ・シャローナ』とかを爆音で聞いていましたね(笑)。2年になると、マイケル・ジャクソンが好きになって、歌詞を全部カタカナで起こして、学校でみんなで歌うわけです。もちろん踊りながら!(笑)」
コピーバンドで経験を積むという過程なしで、最初からオリジナルをつくっていたというビッケブランカさん。
「おかん(母親)の誕生日のことです。そのころ、僕は中学2年の反抗期ってやつで、喧嘩ばかりしていたのですが、何を思ったか誕生日プレゼントに曲をつくったのです。そのころピアノはまだちゃんとは弾けなかったので、安いキーボードにゆっくり録音して、それを再生スピード2倍にしてつくりましたね。それにドラム、ギター、ベース、歌、コーラスみたいなものを、ガーッと混ぜてつくりました。『いつもありがとう!』なんて歌詞は書きませんよ、なんせ思春期なので(笑)。『…そんな言葉、いつになったら普通に言えるだろう』みたいな程度で留めていましたね。もしかすると、初めてちゃんと完成させた楽曲かもしれません」
そうしてビッケブランカさんはその曲を、誕生日に車の中で母親に聴かせたそうです。すると、「こんな曲、つくれるようになったのね」と言いながら車を停め、泣き出し、「ほんとありがとう」と言ってくれたそうです。そしてそのとき、「もっと多くの人に音楽で何かを伝え、喜びを提供したい。それって素晴らしい仕事じゃないかって考えました。言わばこのことが、ミュージシャンを生業にしようとした瞬間とも言えますね」と、ポジティブな笑顔で語ってくれました。
こうして地元での思い出を積み重ね、シンガーソングライターとしての道を歩み始めたビッケブランカさん。そんな彼が、ミッドランドスクエア恒例の人気イベント「ミッドランド・クリスマス2019」出演のため、11月6日(水)凱旋帰郷し、点灯式&ライブを行います。
「ミッドランドスクエアができた頃は既に東京に住んでいたのですが、仕事などで帰郷するたびに寄っていました。父親と一緒にハンバーグを食べたり、『ビチェリン』でお茶したり、『デザインワークス コンセプトストア』で服を買って、着替えて、新幹線に乗りましたね(笑)。今回はゲストとしてミッドランドスクエアへ行くわけですが、ある種、名古屋の街への恩返しと言いますか…僕に音楽を教えてくれ、プロを目指すきっかけをくれた街なので…ビッケブランカというアーティストが、ミュージシャンとして存在していてよかったのか?を皆さんの反応を見て確認させていただきながら、感謝の気持ちを込めて歌いたいと思います」
彼の最大の魅力は、類稀な美麗すぎるファルセットヴォイスと、すべてを一人でこなしながら独創性あふれる楽曲へと落とし込む構成力。毎日、音楽の知識をスポンジのように吸収しまくっていた時代を胸に、このイベントで今度は、私たちの胸に素敵な音楽を染み込ませてくれることでしょう。
Profile
シンガーソングライター
ビッケブランカさん
Vickeblanka
1987年11月30日、愛知県西春日井郡豊山町生まれ、犬山市育ち。学習院大学中退。2016年ミニ・アルバム「Slave of Love」でメジャーデビュー。2018年2ndアルバム収録曲『まっしろ』がドラマの挿入歌に起用され、スマッシュヒットを記録。サブスクリプション音楽サービス“Spotify”のTV CM曲として起用された3rdシングル「Ca Va?」がCM好感度トップ10入を果たし、各所で大きな話題となる。